『波よ聞いてくれ』13巻を読んだ感想|ミナレと若手局員たちが向き合うラジオの現場

波よ聞いてくれ13巻を読んだ感想 それぞれが試される、長すぎる一日 日常

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※この記事では『波よ聞いてくれ』第13巻の展開に触れます。物語の結末に関わる大きなネタバレは避けていますが、登場人物や番組内で扱われる話題について紹介しています。

沙村広明さんの『波よ聞いてくれ』第13巻を読みました。

今巻では、ミナレのファンを名乗る女子高生・ミチルが現れます。一方、麻藤がぎっくり腰で動けなくなった藻岩山ラジオでは、若手局員たちが自分の力で番組を回すことになります。

ミナレとミチルの出会い、南波瑞穂と茅代まどかの番組作りを通して、ラジオ放送とは何か、誰もが発信者になれる時代のプロとは何かを考えさせられる巻でした。

波よ聞いてくれ 第13巻 表紙

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世論を動かしたいミチルと、すでに言葉を持つミナレ

ミチルはミナレのファンであり、弟子になりたいと近づいてきます。彼女が望んでいるのは、ラジオを使って世論を動かせるような存在になることです。

しかし、現時点のミチルには特に発信したいものがなく、社会に対する明確な思想があるわけでもありません。伝えたい内容より先に、人々へ影響を与える側になりたいという欲望があります。

YouTubeやSNSを使えば、現在は誰でも配信者になれます。特別な設備や放送局に所属していなくても、自分の言葉を世界へ届けられます。

ただし、発信する手段を持つことと、人が耳を傾けたくなる言葉を持つことは別です。影響力そのものが目的になれば、正確さより刺激を選び、人の不安や怒りを利用してしまう危険もあります。

一方のミナレも、最初から社会へ訴えたい思想があってラジオの世界に入ったわけではありません。酒場で語った失恋話を麻藤に録音されたことが、すべての始まりでした。

ミチルとミナレの違いは、最初から立派な主張を持っていたかどうかではないと思います。ミナレは自分の言葉を実際に電波へ乗せ、失敗や暴走も含めて、その結果を引き受けてきました。

ミナレの言葉を作ったのは放送現場と人生経験

ミチルにとってミナレは、思ったことを自由に話すだけで人々を引きつける人物に見えているのかもしれません。

しかし、ミナレの言葉を支えているのは、ラジオの現場で積んだ経験だけではありません。

失恋し、男性にだまされ、仕事や人間関係で失敗し、ときには自分の言動によって窮地に立たされる。決して順調とはいえない人生を送ってきたからこそ、ミナレの言葉には独特の説得力と面白さがあります。

スープカレー店「ボイジャー」には、偶然にもミナレと関わりのある業界人たちが集まります。そこで久古蘭、通称クレコも、人生経験の必要性をミチルに諭します。

話し方や放送技術を学ぶだけでは、人を引きつけるパーソナリティーにはなれません。自分で何かを経験し、その出来事について考え、自分なりの言葉を持つことが必要です。

高校生のミチルに人生経験が少ないのは当然で、それ自体が悪いわけではありません。問題は、まだ伝えたいものを持たない段階で、世論を動かす力だけを先に求めていることです。

人生経験だけでも、放送技術だけでも足りない。その両方が結びついて、人の心を動かす言葉になるのだと思います。

同じ新聞を見ても、瑞穂とまどかが拾ったものは違った

第13巻で特に印象に残ったのが、茅代まどかの番組「September Blue Moon」の打ち合わせです。

麻藤の代わりに番組を担当することになった若手ADの南波瑞穂は、まどかと新聞を見ながら、日中の番組で扱う話題を選びます。

その新聞には、東日本大震災後に開局した災害放送局の閉局を伝える小さな記事が載っていました。しかし瑞穂は、内容が日中のラジオには重すぎると考え、話題の候補に挙げませんでした。

ところが、まどかは新聞の片隅にある記事に自ら目を留めます。そして番組で取り上げ、リスナーへ届く話として見事に語りました。

瑞穂の判断は不自然ではありません。日中の番組の空気や、何げなく聞いているリスナーへの影響を考えた、制作側として慎重な判断だったと思います。

しかし、まどかは記事の重さだけでなく、その中にあるラジオで伝えるべき意味を見つけました。重いから避けるのではなく、どのような言葉なら日中の番組でも届けられるのかを考える。そこに、経験を積んだパーソナリティーの力量が表れています。

同じ新聞を見ながら、自分が拾えなかった小さな記事から、まどかがこれほど意味のある話を作る。その放送を目の前で見たことは、瑞穂がADとしての未熟さに気づくきっかけにもなったのだと思います。

小さな記事に光を当てることもメディアの役割

メディアは、現実に起きた出来事をそのまま映すだけの存在ではありません。

何を取り上げ、何を取り上げないのか。どの順番で、どのような言葉を使って伝えるのか。それによって人々の関心や受け止め方は変わり、ときには世論まで作り出します。

その力は、刺激的な話題を必要以上に大きく見せるためにも使えてしまいます。一方で、世間ではほとんど注目されていない出来事に光を当て、その意味を伝えるためにも使えます。

新聞では小さかった閉局の記事も、まどかがラジオで語ることで、多くのリスナーがその存在を知ります。メディアの仕事は、すでに注目されている話題を広めることだけではありません。

まだ多くの人が気づいていない出来事を見つけ、語る価値があると判断し、責任を持って届ける。それもプロの放送に求められる役割だと感じました。

ラジオはテレビやYouTubeと比べるとニッチな媒体です。しかし、パーソナリティーの声を日常的に聞くため、リスナーとの心理的な距離は近くなります。

広く浅く届くのではなく、聞き続けている一人ひとりへ深く届く。その影響力を理解しながら話すことも、プロの責任なのだと思います。

女川さいがいFMの閉局と最後の一曲「TSUNAMI」

作中で取り上げられた記事は、宮城県女川町で放送されていた「女川さいがいFM」の出来事を思わせます。

女川さいがいFMは、東日本大震災から約1か月後の2011年4月21日に開局しました。避難所や給水、支援物資など、全国放送だけでは届きにくい地域の生活情報を町民へ伝えた臨時災害放送局です。

震災から5年後の2016年3月29日、女川さいがいFMは閉局しました。

町の復興が進み、災害時の情報を伝える役割が小さくなることは、本来なら喜ばしい変化です。しかし同時に、長年にわたって町民へ寄り添った声が電波から消えることも意味します。

必要とされなくなることが復興の証しでありながら、それによって放送局が閉じていく。単に役割を終えたという言葉だけでは表せない寂しさがあります。

閉局の日、最後の一曲として流されたのは、サザンオールスターズの「TSUNAMI」でした。

この曲は東日本大震災後、そのタイトルを理由に放送を控える空気がありました。その曲を、津波で大きな被害を受けた女川町の放送局が、自分たちの意思で選びました。

外部の人が流してよいかを決めるのではなく、被災地で放送を続けてきた当事者が、自分たちのタイミングで再び電波に乗せる。それは、社会の空気によって遠ざけられた曲の意味を、当事者が取り戻す行為でもあったように感じます。

この出来事を小さな記事から見つけ、自分の責任で語ったまどかの姿も重なります。メディアは社会の空気に従うだけでなく、言葉や作品の意味を捉え直し、その空気を変えることもできます。

なお、楽曲の後にはスタッフによる挨拶と停波の告知が行われています。そのため、この記事では「最後に流されたもの」ではなく、「最後の一曲として流された」と表現しました。

サザンオールスターズ「TSUNAMI」

『波よ聞いてくれ』13巻はこんな人におすすめ

  • ミナレの予測できないトークと人間関係が好きな人
  • ラジオ局の裏側や番組制作の仕事に興味がある人
  • YouTubeやSNS時代のメディアについて考えたい人
  • プロとアマチュアの違いを描いた作品が好きな人
  • 実際の出来事を取り入れた物語に惹かれる人

まとめ

『波よ聞いてくれ』第13巻では、ミナレに弟子入りを願うミチルと、麻藤の不在によって自分の力を試される若手局員たちが描かれます。

世論を動かしたいものの、まだ伝えたい言葉を持っていないミチル。小さな記事の価値を拾えなかった瑞穂。そして、その記事を日中の番組で見事に語ったまどか。それぞれの姿から、発信する技術だけではプロになれないことが伝わってきました。

ミナレの言葉を作っているのも、放送現場だけでなく、失敗を含めた人生経験です。誰でも配信者になれる時代だからこそ、何を伝え、なぜ伝え、その影響にどう責任を持つのかが重要になります。

ラジオの面白さを描きながら、メディアが持つ力と責任まで考えさせられる第13巻でした。

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